TOP

ライフスタイル
自然と暮らしの回路の再発見
自然体験は、いかにして持続可能なまちづくりの原動力となるのか。2008年水俣大会の記録を通じ、住民と外からの参加者が「当たり前のすごさ」を共有し、地域の回路をつなぎ直していく具体的なプロセスを綴ります。
熊本大会の根底に流れるもの

2008年に熊本県水俣市をメイン会場に開催された全国ネイチャーゲーム研究大会のテーマは、 

「地域と『もやう』ネイチャーゲームの可能性をひらこう」でした。 

生命のゆりかごである海が化学工場から流されたメチル水銀によって汚染され、生命の循環が壊された水俣では、水俣病を引き起こした工場がまちを支えていたことや発生初期に水俣病が「奇病」と恐れられたことなどから、自然と人の関係だけでなく人と人との関係も壊れてしまった時代が長く続きました。 

1990年代からはじまった水俣の地域再生の取り組みを支えた考え方は「地元学」でした。市役所職員だった吉本哲郎さんが提唱する「地元学」は、ないものねだりではなく足元にあるものに気づき、磨いて光らせること。自分で調べて事実に驚き、それはなぜかと深く考えることから自分の住んでいる地域を元気にしていこうというものです。 

自然を壊したことで起こった水俣病。そのようなことを起こさない暮らしを自分のまわりにある自然に気づき、その関わりとつながりのすごさに驚くことからはじめたい。そして、地元の人もよそから来た人も、その気づきをわかちあうことができたらという想いが、熊本大会開催の根底にありました。 


kumamoto01.jpg

当たり前のすごさに驚く

kumamoto02.jpg

大会のワークショップは、すべてを「まるごと◯◯博物館」と名付け、海や山や里の暮らしと自然の結びつきを地元の人と参加者が一緒に再発見するものでした。

そのうち2つのワークショップの会場となった山間部の大川と越小場地区の「村丸ごと生活博物館」は、村を屋根のない博物館に見立て、村の人たちが自分たちの地域を案内
したり、地域にある食材でもてなすことでたくさんの交流が生まれ、「何もない」と思っていた自分たちの村に誇りを持って、元気になる水俣の取り組みです。
 

ここで行なった「あるもの探し」は、村の人と歩いて地域にあるものを「これは何?」「どうやって使うの?」などと質問していくことで、その地域の暮らしのあたり前のすごさに驚き、地域の力を引き出していく地元学の実践です。 

聞いたことは絵地図にまとめ、地元の人たちに向けて発表します。地元からは「自分たちにと当たり前の空気、当たり前の水にこれだけ驚いてもらったのが驚き」「ネイチャーゲーム?と    思っていたが、目をつぶるといろいろな音に包まれた。次の案内の時にやってみたい」という声があがりました。 

 

地域ともやうネイチャーゲームの可能性

kumamoto03.jpg

大会終了後、参加者から「水俣のイメージが変わった」「水俣の暮らしと再生の努力にふれることができた」という声をたくさんいただきました。熊本大会は参加者が水俣ともやう場となり、山村や漁村で普通に暮らしている人々がネイチャーゲームに出会った場でもありました。

2011年、「日本の環境首都コンテスト」で、水俣市は日本で初めての「日本の環境首都」の称号を受けました。地域の再生を環境からはじめようと、立場が異なる人々が対立を創造のエネルギーに変えて、もやいづくりを積み重ねて来たことが実を結びました。

「もやう」とは、船と船をつなぎあわせること、そして何かに一緒に取り組む
ことを意味する言葉です。
 

自然への気づきを目的とするネイチャーゲームが地域ともやうことを積み重ねていけば、自然と暮らしの回路を多様につなぎ、自然と調和した暮らしのある持続可能な地域の元気づくりに関わることができるのではないかと考えています。それがこれからのネイチャーゲームの可能性であり、シェアリングネイチャーという生き方にもつながる、と感じています。 


(2026.03.19記事作成)




小里アリサ おり ありさ

1961年、長野県に生まれる。幼い頃は、遠くの山々にぐるりと囲まれた景色に安心感を抱いていたが、長じて熊本県は水俣市の海のそばで40年も暮らすと、視界の片隅に海が見えることで安心する日常がある。ミサゴが飛んだり、ボラが跳ねたり、小さな巻貝が転げたりする海岸で「わたしの岩」に腰掛けて、猫と一緒に〈サンセットウォッチ〉をするのが、無上の喜び。森と海がつながる渚で、生命の静かなざわめきに耳を澄ます日々を送りたいと願っている。 

orisan2.jpg

LPbanner2_1200-300.pngLPbanner0Line_1200-300.png