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ライフスタイル
坂の行先(ゆくさき)...古地図散歩で川巡り谷巡り(SNL2015年6月発行)
富士見坂、桜坂、いろは坂、男坂、女坂...。
日本には大小さまざま、いろいろな名前が付けられた坂が点在する。
平坦に見える首都・東京にも、坂はじつに多い。
それは、水によって削られた地形の上にできた街だから...。
今は見えなくなった、その水の跡を古地図を見てたどると大地のうねりが、
川のせせらぎが、聴こえてきます。
街並の向うに緑風が吹く
地形の案内人
【地誌研究科】
芳賀 ひらく(はが・ひらく)さん

江戸・東京の古地図・地誌の研究家。東京経済大学客員教授。日本地図学会評議員。『ネイチャーゲーム1』初版出版元・柏書房元代表取締役。当協会名誉会員。
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坂に名前があるのは、世界でも日本だけなんです。外国では、道や丘には名前がつけられますが、道が傾斜するところにわざわざ名前をつける例はほとんどないんですよ

そう話すのは、NHK『美の壷』やテレビ朝日『タモリ倶楽部』などでお茶の間でも知られる、古地図・地誌研究家の芳賀ひらく氏。じつは、シェアリングネイチャー活動の礎となったジョセフ・コーネル著『ネイチャーゲーム1』を日本で出版する際に、多大な尽力をいただいた柏書房元代表取締役であり、自然にも造詣の深い方なのです。



その芳賀さんと街を歩いて聞いた「他の国の人が坂に名前を付けない」という話。同行したみんなが、ちょっと不思議だと首を傾げます。富士山が見える坂で、桜並木の坂で、景色を眺めひと息つき...。そこに名前を付けようと思うのが自然なことのように思うそれは、日本人ならではの感性なのでしょうか。それとも、途中でひと休みしたいような坂が多いということなのか...。



そんなことを考えながら、初夏の風吹く東京・新宿御苑周辺を歩いてみました。



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街に隠れた「崖」と「川」を探そう

小さな路地を曲がると、右手に急坂が現れます。坂の下には交差をする大通り。



あそこは昔『紅葉(もみじ)川』という名前の川が流れていたところです

古地図を見ながら芳賀さんが教えてくれます。



いつもは何気なく通っていた坂道。ちょっときついなぁ...と思う住宅街のなかの坂道。でもそこが川辺に続いていた坂だと知ると、不思議に「坂」を見る目が変わります。



人の暮らしに欠くことができない、水。洗濯、炊事、飲料水...。その水を得るため、水辺に降りる崖を人は下り、細い踏み跡にいつしか階段ができ、川船で運ばれてきた荷を運ぶために道幅を広げ、傾斜の緩やかな坂をつくり...。それが、水道が普及し、物流が船から車へと移り、生活のために水辺に降りる必要がなくなった今も、坂道として残っているのです。



多くの川が地下に潜り、地上部が道路や公園に変わった都市部でも、気をつけて歩くと川や谷の面影がそこここに見られます。昔、そこには小魚が泳ぎ、ホタルが乱舞し、カワセミが飛翔する小川があり、人びとは川筋をわたる風に吹かれ、せせらぎの音を聴いて暮らしていたのでしょうか。



旧街道、つまり昔の幹線道路はほとんどが尾根道です。遠くに旅をするとき、人は高低差が少なく、見通しがよくて安全な尾根を歩いたのでしょう。その幹線道路に交差するようにつくられた道は谷に下る道ですので、坂道となる。江戸でも坂の下には川が流れ、そこには多くの場合、田園が広がっていました

芳賀さんがいうように、新宿でも青梅街道や甲州街道に交差する道をたどると、確かに左右に下る坂道が見られます。そして、その道の周辺には、今は家と家の間のコンクリートに固められた段差だったり、道路や線路の片側の壁面となり気づきにくかったりするのですが、急な段差が一定距離に渡って連なる「崖」が見つかることも少なくありません。



この坂は川に降りる小道で、あの道は川で、この壁は川岸の崖で、今ここは谷底...。そんな発見をしながら街を歩くと、コンクリートとアスファルトで固められた場所の向うに、岩陰からしみ出す湧き水が、湿地に足をとられる感触が、岸を削って流れる濁流が、水辺に繁る草木をぬって吹く風の匂いまでが感じられる気がしてきます。



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日本列島をつくったのは隆起と火山噴火?!
日本列島は、4つのプレートが出会う世界に類を見ない特異な場所にあります。そのため山は今も隆起を続け、火山も多く、地震も頻繁に起こります。細長い列島に急峻な山がそびえているため、川は急流となり、しばしば土砂災害にも見舞われるのです。



けれど、そうして火山が地下からもたらす養分が川を伝って運ばれ、その土砂が堆積して平野を形成し、海を渡ってきた湿潤な大気が急峻な山に当たって多くの雨を降らせるからこそ、日本は緑豊かな自然に恵まれ、豊潤な大地で農業も営まれてきたのです

と芳賀さんはいいます。



私たち日本人はそのような躍動する大地の上に暮らしているのです。隆起した山を雨が、川が削り...。そして氷期(ひょうき)と間氷期(かんぴょうき)のくり返しにより上昇と下降をくり返した海面の移動が残した海蝕断崖(かいしょくだんがい)...。



6900年前、縄文時代に訪れた温暖期、海面は今より3m高く、東京湾は今よりもずっと大きかったといわれています。そして海に接する場所では陸地は波にどんどん削られ、縄文時代の中期には、今の三河島周辺だった東京湾の水辺は、温暖期の終わりには赤羽付近まで後退し、高い崖となりました。この崖は、今も赤羽から上野にかけて約10㎞に連なる『日暮里崖線(にっぽりがいせん)』として残っています

と芳賀さん。京浜東北線の車窓から見える線路沿いのコンクリート壁は、縄文時代に海が削った崖。その後の鉄道線路拡幅工事で削られ表面をコンクリートで固められたものの、〝地形〟はほぼ自然の営みがつくったものなのです。



じつはこのような崖は各地に見られるそうです。緩やかなカーブを描いて走る坂道の左右に段差がある場所は、崖を切り通した道であることも多いのだと。

都市部から姿を消した小川

都市化が進むにつれ、地方でも姿を消す川が多くなっています。



日本の大都市のほとんどは、川が運んだ泥と砂でできた平地や山間に広がっています。そしてその平地や谷底の多くは、かつては田んぼとして利用されていた場所です。それらの田んぼが時代の流れとともに住宅地に姿を変えると、川は多くの側溝となり枝分かれして住宅地を流れ、さらには地下に埋められ、現在では川跡は道や公園に姿を変えました

芳賀さんによると、坂の下やうねって走る道は川跡のことが多いのだそうです。そして、主要道に鋭利な角度で交差している道も川跡のことが多いのだとか。



山越え谷越えのまっすぐな道をつくるのは、中央集権国家だけです。お金も技術もないと建設も維持もできませんから。自然にできる道は、縦走道の尾根道と、海沿いの道、川沿いの道、そして川に下る小道。昔の道はこのいずれかで、自然の地形に沿っているのです



街歩きの面白さは〝アウェアネス(気き)〟にあると思う

という芳賀さん。そして、そのアウェアネスはジョセフ・コーネルに学んだことだといいます。



街歩きの「気づき」は、想像の世界への入り口。今はコンクリートで固められた崖の下に咲いたタンポポは、昔なら小川のせせらぎの聴こえる岸辺に咲いていたのではないか...。ビルに囲まれた谷底の道は、左右の丘に雑木林が続いていたのではないか...。人の暮らしがもっと自然と近かった時代。その暮らしに思いを馳せながら、今の暮らしの在り方をもう一度考えてみるのもいいかもしれません。



アウェアネスの街歩きで〝芳賀さんお勧め〟は川に下る生活道、小道を歩くといつもいろいろなものが発見できて面白いそうです。



そして、自分の住んでいる場所が本来どんな自然のうえに成り立っているのかを知ると、その場所の「災害の危険も見える」とは芳賀さん。



日本列島は、世界にもまれな多様な自然に恵まれています。それは反面、自然災害の危険をはらんでいる場所でもあります。その両方を理解して、過ごすこと。それが大事なのではないでしょうか

自然の恵みとそのリスクを理解し、この地で暮らしてきた先人の知恵と教訓を、私たちはどのように次の世代に引き継いでいくのか...。芳賀さんとのビルの谷間の街歩きは、緑風とともに、そんな課題も投げかけてきました。



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