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「風」を見せる...京の庭師に聞く日本人の自然観(SNL2013年6月発行)
京都・嵯峨嵐山の古刹(こさつ)、祇王寺(ぎおうじ)。
その庭を手がけて12年になるという
武藤重信(むとうしげのぶ)さんは〝見えないものを見て美しいと感じる心〟こそが日本人独特の感性なのだと話します。
長年、多くの人の手で守り継がれた寺の庭と
向かい合うなかで感じた〝自然観〟を、
春の祇王寺を訪ねてお聞きしました。
自然のかなで心に吹く風
風の仕掛け人
【庭師】
武藤 重信(むとう・しげのぶ)さん

十数年前、「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像に心動かされ、同寺の人と『無』についての談義を数か月にわたり重ねる。その日々のなか「祇王寺 」と 出逢い、京に居を構え、現在に至る。
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『花鳥風月』のなかで唯一目に見えない『風』。それを見ることができるのが日本人なんです。そして、その『風』こそが、見た人の美しさを感じる心、感性なんだと思います

それは長年、祇王寺を訪れるさまざまな国の人びとと話をして、武藤さんが感じたことです。



『平家物語』の悲恋の尼寺として知られる祇王寺は、竹林に抱かれるように建つ庵(いおり)と、楓(かえで)と苔の美しい庭をもつ、大覚寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ。瀬戸内寂聴が仏門に入るきっかけとなった尼僧、故・高岡智照(ちしょう)が庵守(あんじゅ)を務めた寺としても知られます。



その祇王寺を訪ねた日は、まさに新緑の季節。雨上がりの静かな風が木々の緑をより鮮やかに引き立て、寺の路地に足を踏み入れると、その空気感に自然と呼吸が深くなりました。



そんな私の様子を知っていたのか、まだ庭の全容を見ないうちに武藤さんから「どうでしたか?」の質問。いきなりのことに口ごもる私に「最初に感じたそれがすべてです」と笑います。



『美』とは説明するものではなく、感じるものだと思うんです。もちろん説明すれば、相手は『理解』してはくれるでしょう。でも『わかる』ことはできない。だからそれぞれの人が感じた美しさを味わうのがいいのだと思います

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枯山水(かれさんすい)の庭に見る無限の広がり

庭には造り手の〝作為を見せる庭〟と〝作為を見せない庭〟があると、武藤さんは話します。



造り手の作為を全面に出した庭は、造られたそのとき、見たときのものが最高のもので、それ以下でもそれ以上でもない。しかし「作為を見せないように造られた庭は、見れば見るほど、居れば居るほど多くのことを語り、無限の広がりを見せます」と。



新緑の祇王寺の庭には艶やかな色はありません。唯一、庭から少し離れた入り口近くに、季節の花、牡丹の鉢植えが置かれています。



庭に牡丹を植えないことで、訪れた人がこの緑一色の庭の、好きな場所に牡丹を置いて見ることができます。そうしてその風景を想像し、空気を感じて美しいと思う。それが日本人の感性です。花鳥風月の風を解する、日本人の心なんですよ

という武藤さん。



〝想像する美〟--その最たるものに、日本の庭を語るのに欠くことができない「石庭」があります。そして数ある京の石庭のなかでも有名なのが左京区にある『龍安寺(りょうあんじ)』です。遠近法を用いて限られた場所をより大きく見せる工夫を凝らした枯山水のその庭は、海外からも高い評価を得、龍安寺の世界遺産指定にも大きな影響を与えました。



ところが訪ねてみると、意外にも龍安寺の敷地は広く、石庭の外側には大きな池を配する庭園があります。なぜ、この広大な敷地に、古人はあえて狭く仕切った石庭を、遠近法まで用いて造ったのでしょうか。



この龍安寺の石庭について武藤さんは、「もしあの庭に一筋の水を流したなら、庭はものすごく狭く感じられると思いますよ。水がないからあの庭は広く見えるんです」と話します。



〝想像させる〟ことにより、見る人により広い世界を見させるのだと。



よく人は芸術を見て『わからない』といいますが、わからないものはわからないままでいいんです。わからないから人は想像をする。想像するからこそ、世界は広がるんです

広大な庭にあえて狭い石庭を造ることにより、広大な庭よりもより大きな「無限」を見せようとしたのでしょうか...。その問いに、武藤さんはただ静かに笑うだけでした。



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造り手はいつでも自然 「受容」がおもしろい
伝統的な日本の庭でよく見られるもう一つの技法に、外の山や木々などの風景を背景として取り入れる「借景(しゃっけい) 」があります。この借景を武藤さんは〝広がり〟と〝受容〟だと語ります。



自然には人が踏み入れてはいけない一線があると思うんです。そこは動物たちの世界であり、神の世界。この一線を犯して人が自然に踏み込んでいくとき、災害が起こります。クマに襲われたり、開発による崖崩れが起きたりする。そう考えると、天災といわれていることのなかには、人災といえるものも多いように思います

昔の人は、その踏み込んでは行かれない大自然の空気を、庭に〝無限の空気感〟をつくり、写しとろうとしたのか。そんなことを考えながら祇王寺の庭を見ると、狭いはずの庭が、深く広く見えます。



自然は手前で見ているのがおもしろいんですよ。自然の前にしゃしゃり出て、人が自然をリードしようとしてはいけないんです

祇王寺の庭を歩くと、苔の上に椿の花がひとつ、ふたつと落ちています。楓の枝からは蜘蛛の巣にひっかかって揺れる枯れ葉が風で回っています。自然そのままのような庭。けれどこの景色を保つには多くの「手」が掛けられているはずです。



もちろん苔のなかにも鑑賞に適さないものもあります。広がってほしくない場所に出る苔もあります。そのようなものは一つずつ間引きます

草も、枯れ葉もしかり。しかしそこに庭師の作為が見えすぎてしまってはダメだというのが、武藤さん流です。



造り手はあくまでも自然です。人の作為はいずれほころびます。ほころびを見せないためには、守りの姿勢になる。守りは争いの始まりです。そんな世界はおもしろくないですよ

「受容」の世界こそがおもしろい。想像もしない出来事に触れる喜び。そこに自らを表現する喜び。「受容」には二つの喜びがあるのだといいます。



そして、その喜びは、四季のある日本ではさらに強く感じられます。色に立体感がでる紅葉の季節。緑の変化を愛でる春。楓の葉が雨を受け、重みで樹形が少し丸みを帯びる雨の日...。



この自然にずっと寄り添っていたいと思いますね

と、庭を見ながらぽそっという武藤さん。



そう思ってもう12年がすぎました

日々の暮らしに追われるなかでも、私たちは身近な自然に見えない風をちゃんと感じているでしょうか。そして自然に寄り添えているでしょうか。



桜が終わった嵯峨嵐山は、萌黄に新芽の赤が映える、まさに一瞬の「山笑う」季節でした。そして原稿を書いている今、東京は日に日に緑が濃くなる青葉の季節です。



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