
スタッフブログ
今日のハッピーラッキーネイチャー[2020/1/4]
1月4日の「#ハッピーラッキーネイチャー」!
新型コロナウイルスの影響を受けて新しい生活様式へのシフトが進む中、全国各地の自然を愛し野外活動に取り組む仲間たちとともに「自然を感じる」ことを提案できないかとアイデアを出しあっています。地域ごと、ご家庭ごと、関係主体ごとに状況が違うことと思います。みなさまの日々に活かせるもの、ホッとできるものを少しでも届けられていれば幸いです。
※この記事はハッシュタグを元に引用させていただいています
▶【取り組み】ハッピーラッキーネイチャープロジェクト[コロナに負けない外遊び]
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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-22〈シモバシラ〉(2021.1.3)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-22
〈シモバシラ〉
高尾山から小仏城山に向かう山道に"シモバシラ"の出現箇所がいくつかある。日向は気温上昇と共に解けてしまうところが多いが、北斜面の日影は昼近くでも残っていることが多い。
自然が作る芸術作品は一つとして同じものはなく、自由気ままに湾曲する形は何とも言えず不思議で愛らしい。地上部が枯れた後毛細管現象で吸い上げられた水分が茎の間から染み出し、それが凍るとこんな形になる。
今冬は12月に雨が少なかったので吸い上げる水分が少なく、あまり期待はしていなかったのだが、予想以上に大きな氷の花が咲いていた。薄い氷なので触ると簡単に落ちてしまう儚い花だ。接写で撮る時も慎重にカメラを扱わないと花にぶつかってしまう。
息を止め、ゆっくりゆっくりレンズを近づける。平均5~6㎝で大きいものは10㎝程度あった。遠目に見ると、ティッシュが落ちているようで、気づかない人はそのまま通り過ぎていく。
けもの道のようなとんでもないルートを通ってきただけに、見つけた時には小躍りした。自然が作り出す芸術作品はいっぱいあるが、この時期にしか見られない"シモバシラ"はまさに一級の芸術品だ。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.3 NO152-22 シモバシラ.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-21〈シモバシラのはずが〉(2021.1.2)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-21
〈シモバシラのはずが〉
シモバシラを見に高尾山に行く。霜柱ではなく植物のシモバシラにできる氷の花だ。日影沢に駐車しイロハの森ルートを上る。歩き始めてすぐに"霜柱"があった。子どもの頃は登校途中よく踏んでザクザクという音を楽しんだものだ。
ルート途中に巻き道のような踏み跡があり、行ってみることにした。どうやら、バリエーションルートのようでワクワクする。
しかし、わずかな踏み跡はあるものの急斜面沿いの杣道のような山道、それこそ"全集中"で歩く。手に持っていたカメラはザックに入れ、両手が使えるようにする。
落ち葉が積もっている場所は特に気を付けないと斜面から転げ落ちることになる。倒木が道をふさぎ踏み跡が見えなくなる。沢を超えるたびルートが判然とせず、方向を確かめながら慎重に歩を進める。
キジョランやテイカカズラの綿毛でホッとするが、何かに襲われた鳥の羽が散乱していたり、鹿の足跡らしきものがあったりするとゾクッとする。
こんな誰も通らない杣道で遭難したら誰にも気づかれない。シモバシラどころではなくなった。歩くこと 1 時間、ようやく本来の登山道に出た。
たかが高尾山と高をくくっていたが一歩間違えれば命とり。登山道に出てからも慎重に歩くことにした。自然を侮ってはいけない。自然は常に危険と背中合わせ、肝に銘じなければ。シモバシラ情報は次回にまわす。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.2 NO152-21 シモバシラのはずが.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-20〈2021年のはじまり〉(2021.1.1)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-20
〈2021年のはじまり〉
2021 年 1 月 1 日、雲一つない東の空は徐々に茜色に染まり始め、木々の間から今年初めての日が昇る。近くのギオンスタジアムには日の出を拝む多くの人が詰めかけ、その時を静かに待っていた。
ここ2年ばかりは低い雲が垂れ込め8時頃になってようやく顔を出していたが、今日は何の邪魔もなく、ほぼ予定時刻にまぶしいほどの光を放ちながら力強く昇ってきた。誰かが拍手をし始めたら、それにつられて何人かがパラパラと拍手をしていた。さすがに"万歳!"を叫ぶ人はいない。
2021年の初日の出、両手を合わせて願うのはただ一つ、"コロナの終息"だ。今まで当たり前だったことが当たり前でなくなってしまったこの1年、人が人として生きていくための最低限の関わりさえも奪われてしまった。こんな異常は長くは続かないと思いたいが、いつ終息するかも分からない出口の見えないトンネルに、不安や苛立ちが時々顔を持ち上げる。誰かの指示を仰ぐのではなくこの局面にどう対峙しどう乗り越えるのか、自分ごととして真剣に向き合う時が"今"なのだと思う。
100年後、1,000年後も間違いなく日は昇り、また沈む。しかしその時に人類がこの地球上に"間違いなくいる"という保障はどこにもない。増え続ける人口、テロ、戦争、飢餓、貧困、自然破壊、自然災害、温暖化・・・。
コロナ以上に不安要素が山積するなか、全世界がコロナにどう向き合うかで100年後の未来が見えてくるのではないだろうか。コロナ禍はその試金石かもしれない。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.1 NO152-20 2021年の始まり.pdf
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