
スタッフブログ
イノッチのシェアリングネイチャー No.152-92〈はだしで泥団子〉(2021.3.31)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-92
〈はだしで泥団子〉
春休みに入り暇を持て余した孫たち 4 人が庭で楽しそうに遊んでいる。何をしているのかとのぞいて みると、泥団子作りだ。車庫にある砂と、庭の土をミックスしての団子作りに興じている。今までも何度も作ったことがあるので要領は得ている。適度な 水分を含んだ土と乾いた砂のバランスが決め手になる。車庫と庭を行ったり来たりしながら、鼻歌交じりに団子を作っている。
もうすぐ 2 歳になるSち んも、みんなと一緒に団子作りに参加。丸くするの はとても無理だがどろんこ遊びは大好きで手も足も どろどろになりながら楽しんでいる。暖かい日だったのでみんな裸足だ。孫たちに言わせると、水分たっぷりのベチョベチョの土に乾いた砂をかけると団 子になりやすいとのこと。これを何度も繰り返すと 少しずつ団子が丸く大きくなっていく。あとは、乾くのを待つだけ。
今回は簡易泥団子だ。"ピカピカ 団子にしないの?"と聞くと、"ピカピカ団子にするには土から変えないと作れないもん"とのたまう。もういっぱしの泥ダンゴ名人だ。
素手で,裸足で土に触れることで彼らは様々な刺激 を受けているはずだ。
ヌルヌルとかベチョベチョとか いう言葉は触って初めてその感触と言葉とが結び付 く。2 年生のYちゃんは、ヌルヌルではなく、"ニュルニュル"と表現していた。彼女の中では微妙に違っていて、その違いが実感として分かるのだ。知り合いの石垣島の子ども達はマングローブの林をいつも裸足で走り回り、素手で魚を捕っていた。きっと都会の子 達には分からない感触の宝箱をいっぱい身に着けてい るに違いない。
よし、明日は畑で裸足になろう!
▶PDF版をダウンロードする 2021.3.31 NO152-91 はだしで泥団子.pdf
イノッチのシェアリングネイチャー No.152-90〈だから出会えた〉(2021.3.30)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-90
〈だから出会えた〉
山梨百名山の源氏山に登ろうとしたら、林道が通行止めになっていた。4年前の台風で崩落個所があり、未だに復旧できないままになっていた。ならばと、同じ百名山の八絋嶺に変更したらこちらも大きく迂回しなくてはならず、断念。車を本栖湖方面に走らせて竜ヶ岳に登ることにした。
登山道はまだ冬景色のままで、木々の芽も硬く閉ざされたまま。桜も蕾がやっと膨らんできた程度。そんな冬枯れの山道を歩いていると、斜面に白い花が忽然と現れた。近寄ってみると、"キクザキイチゲ"か?葉がやけに細いのが気になるが・・・。茶色一色の風景の中にたった一輪の白い花はとても目立つ。予定していた山に登れなくてがっかりしていたが、おかげでこんなにもステキな花に出会うことができた。下山道では、斑入りの白いスミレを見つけた。調べてみたら"フイリフモトスミレ"らしい。予定していた山に登っていたら会えなかった花たち。そう思うと、林道の通行止めはこれらの花に会うためのちょっと乱暴な演出だったのかもしれない。
人との"出会い"や何かの"発見"も案外そんなもので、うまくいかなかったからこそ生まれるものがある。失 敗は新たな出会いのチャンスなのだ。
竜ヶ岳には 3度ほど登ったことがある。笹原の山頂から富士山がドドーンと見えて、大声で叫びたくなる。今日は少しガスっていたが富士山はドンと座っていた。正月、ここからのダイヤモンド富士を見に来たことがあるが、とに角寒くて、リュックのチャックが下ろせなかったことを覚えている。今日は風が強くて、上りでかいた汗があっと言う間に引っ込み、早々に上着を羽織った。温かいもの口に入れようとガスでお湯を沸かしたが、火が燃え移らないかヒヤヒヤものだった。可憐な花と富士山、出会いは必然だったのかも。
▶PDF版をダウンロードする 2021.3.30 NO152-90 だから出会えた.pdf